東京地方裁判所 昭和27年(ワ)8501号 判決 1955年4月12日
原告 岩田義次
被告 学校法人豊南学園
主文
原告の請求これを棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事実
第一申立
原告訴訟代理人は、「被告は原告に対し東京都豊島区高松三丁目六番地の二土地五百四十四坪を明渡し、かつ、昭和二十七年一月一日から明渡ずみに至るまで一カ月金二千百七十六円の割合による金員の支払をせよ。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決及び仮執行の宣言を求め、被告訴訟代理人は請求棄却の判決を求めた。
第二原告の請求原因
原告訴訟代理人は請求原因としてつぎのとおり陳述した。
(一) 原告は被告に対し昭和十七年八月十日原告所有の東京都豊島区高松三丁目六番地の二土地五百四十四坪(以下「本件土地」という)を被告学校の敷地として賃料一カ月金百四十六円八十八銭、毎月二十八日限り持参払い、賃借期間昭和三十七年八月十日までの約束で賃貸し、右賃料は数回値上げの後昭和二十六年九月分からは一ケ月金二千百七十六円に改訂された。
(二) しかるに、被告は昭和二十七年一月分から同年九月分までの賃料合計金一万九千五百八十四円を延滞したので、原告は被告に対し昭和二十七年十月二十三日附書面をもつて、右延滞賃料全額を書面到達の日から五日以内に支払うべく、もし、右期間内に支払わないときは本件土地の賃貸借契約を解除する旨の催告及び条件付契約解除の意思表示をなした。しかして、同書面は同月二十六日被告に到達したが、被告は右催告期間内に右延滞賃料の支払をしなかつたので、右契約は同月三十一日をもつて解除された。
(三) よつて、原告は被告に対し、右賃貸借契約の終了を理由として本件土地の明渡を求めるとともに、昭和二十七年一月一日から同年十月三十一日までは賃料として、同年十一月一日から土地明渡ずみまでは賃料相当の損害金として各一カ月金二千百七十六円の割合による金員の支払を求める。
第三被告の答弁
被告訴訟代理人は答弁として大約つぎのとおり陳述した。
原告が請求原因として主張する事実はすべて認めるが、以下(一)及び(二)に述べる理由により土地明渡の請求は失当であり、(三)に述べる理由により賃料及び損害金の請求は失当である。
(一) 支払期限猶予の抗弁
本件賃貸借については被告の経営する学校の財政の都合により被告が賃料を約定の期限内に支払えないときは、原告は適宜その支払を猶予する旨の特約があり、右特約に基き昭和二十七年一月分から同年九月分までの賃料の支払は同年十月末日まで猶予されていたものであるから、原告になんらの債務不履行がなく、したがつて、被告のなした右解除はその効力は生じないものである。
(二) 権利濫用の抗弁
仮りに右支払猶予の特約がなかつたとしても、本件解除は以下述べるような事情のもとになされたもので信義に反し権利の濫用であるから無効である。
(1) 被告は本件契約解除に当り五日間の催告期間をつけて条件附解除の意思表示をなしたものであるが、この五日間という催告期間は不当に短かきに失する。すなわち、原告は公益事業援助の趣旨で本件土地を学校の敷地として好意をもつて提供してくれたので、被告はその趣旨を諒として原告を校賓として待遇し、原告が手許不如意のときは本件土地の公租公課を立替支払う(昭和二十六年十一月十日原告が支払うべき固定資産税金四千四十円を立替支払つた。)など、十余年に来たり紳士的友好的関係を続けてきたものであるから催告するにしても普通よりは長期の期間を定めて催告すべきが至当であるのに、被告はわずか五日間の短期間を定めたにすぎない。したがつて、右催告は無効といわざるを得ない。
(2) 被告は本件延滞賃料支払についても十分誠意を示している。すなわち、被告は昭和二十七年十月二十六日原告より右催告をうけるや、催告期間内である同月二十八日延滞賃料のうち半額の支払を同年十一月十五日まで、その残額の支払を同年十二月十五日まで猶予されたい旨書面をもつて懇請したところ、原告はこれに対し何らの回答をも示さなかつたので、被告はその承諾があつたものと信じ、右の申出のとおり原告に対し同年十一月十五日右延滞賃料の半額金九千七百九十二円の提供をなしたが、原告は故意に面接をさけてその受領を拒絶したので、さらに、同年十二月十五日右延滞賃料全額を提供したのに原告はその受領を拒絶した。よつて被告はやむなく同年十二月二十三日右延滞賃料全額を弁済のため供託し、同年十月分以降の賃料についてはその後引続き供託している。かように、被告は賃料支払について十分誠意を示しているのである。
(3) 被告は賃料の支払能力に欠けるところはない。すなわち、被告が賃料を延滞するに至つたのは、当時学校経営が思わしくなかつたことによるものであるが、現在では生徒数も増したほか、幼稚園を新設してその児童数は六十名を数えるなどその経営は次第に軌道にのつてきたので、前示(2) のとおり昭和二十七年十月分以降の賃料は毎月遅滞なくその全額を弁済供託しているように、すでに現在では賃料の支払能力に何ら欠けるところがなく将来とも被告に対し賃料支払につき迷惑をかけるおそれもない。
(4) 本件土地は原告の経営する学校の敷地であつて、この敷地の明渡によつて原告の学校経営は著しく困難となり、その影響はひとり原告の経営上の利害に関するのみならず、在校生徒の福祉にも関することである。
(三) 賃料及び損害金の請求に対する抗弁
被告は前記(二)(2) において述べたように原告請求の延滞賃料全額を弁済のために供託したから、その債務は消滅した。また、前記(一)及び(二)に述べたように、本件解除は無効である。したがつて、原被告間にはなお賃貸借契約が存在しているから損害金の請求は理由がない。
第四被告の抗弁に対する原告の答弁
原告訴訟代理人は被告の前記抗弁に対し大要つぎのとおり陳述した。
(一) 賃料の支払を猶予する旨の特約のあつたことは否認する。
(二) 解除が信義に反し権利の濫用であることは争う。
被告は従来もとかく賃料を怠納しがちで原告に世話をやかせていたものであり、かかる経緯上本件解除は止むを得ざる手段として是認さるべきであり決して信義則に反するものではない。
(1) 被告がその主張のとおり本件土地の公租公課を原告にかわつて立替支払つたこと、本件土地の賃貸借関係が十余年にわたつて継続されてきたことは認めるが、原告はとくに公益事業援助の趣旨で好意的に本件土地を被告に貸したものではなく、又原告は被告から校賓として待遇されたこともない。しかも、被告が本件土地の公租公課を立替支払つたのは、被告の延滞賃料の支払にかえて支払つてもらつただけで、原被告の関係は単なる地主と借地人との関係にすぎないから、五日間の催告期間は決して不当ではない。
(2) 被告がその主張のとおり支払猶予の申出をなしたこと、原告がこれに対して何らの回答を示さなかつたこと、被告がその主張のとおり二回にわたり賃料の提供をなし、原告がその受領を拒絶したこと及び被告がその主張のとおり弁済供託していることは認める。原告が被告の支払猶予の申出に対し何ら回答を示さなかつたのは悪意によるものでなく、また原告が受領を拒絶したのは、催告期限後の提供だつたからである。
第五証拠
<省略>
理由
(一) 原告が昭和十七年八月十日本件土地五百四十四坪を被告に賃貸し、右賃料が原告主張のとおり改訂され昭和二十六年九月分以降一カ月金二千百七十六円となつたこと、被告が昭和二十七年一月分から同年九月分までの賃料合計金一万九千五百八十四円を延滞したこと、原告が昭和二十七年十月二十三日その主張のとおり右延滞賃料の催告及び条件付解除の意思表示をなし、同書面が同年十月二十六日被告に到達したこと及び被告が右催告期間内に右延滞賃料の支払をなさなかつたことは、いずれも当事者間に争いがない。されば、本訴請求の理由ありや否やは一にかかつて被告の抗弁の当否にある。
よつて、以下被告の抗弁について考察する。
(二) 被告は、まず、本件土地の賃料については、被告の経営する学校の財政の都合により期限内に支払えないときは原告は適宜その支払を猶予する旨の特約があり、右特約に基き、昭和二十七年一月分から同年九月分までの賃料の支払は、同年十月末日まで猶予されていたものであると主張するが、この趣旨にそう被告本人の供述部分はたやすくこれを信用しがたい。しこうして、成立に争のない乙第一号証によれば、昭和二十六年度において被告はしばしば約定期限におくれて賃料を納めたことが認められるが、賃料支払を適宜猶予する旨の特約は他にこれを証明する資料がなく、なお、成立に争のない乙第三号証によれば、本件延滞賃料の納入延期方につき原被告間に何らかの交渉のあつたことは推知できるが、原告が被告の主張どおり猶予したものと認めるべき証拠はない。また、催告期間中になされた右乙第三号証による納入延期の懇請に対して原告が承諾を与えなかつたことは後に認定するとおりであるから、被告の右抗弁は証明がないものとして採用することができない。
(三) よつて進んで権利濫用の抗弁について判断する。
(1) 前記争のない事実と成立に争のない乙第一号証、同第二号証の一、二、同第三号証証人牧田三郎同西宮つゆ子同斎藤フクイの各証言及び原被告本人の各供述を綜合するとつぎの事実を認めることができる。すなわち、
(イ) 被告は昭和十七年五月二十日設立された学校法人(当時は財団法人)であつて、設立当初は豊南商業学校という名称で三年制の中学校を経営していたが、その後名称及び経営内容を変更し、現在は豊南学園という名称で六三制による高等学校を経営するほか、所属幼稚園をも併せて経営しているものである。被告学園の経営状況は、その隆昌期とされる昭和十八、九年頃には生徒総数約五百名を数えたが、六三制の施行に伴い、その生徒数は減少し、昭和二十六年頃にはその総数は三、四十名という有様になつた。したがつて、この頃には被告の財政状態もまた不如意となり、本件係争の賃料延滞はまさにこの時期の経営難に由来したものであるが、その後昭和二十七年秋頃より漸次経営状態は向上しつつあり、現在は高校生約百名(昼夜間とも合せて)幼稚園児童約六十名を擁している状況である。
(ロ) 原告が明渡を求める本件土地五百四十四坪は被告が学校設立に当りその敷地として原告より賃借したものであつて、被告学校の全敷地は本件土地と被告が他より賃借している土地とからなるもので、その総数は約二千坪となる。この敷地に延坪約三百十坪の二階建校舎があり、九百坪の運動場があるのであるが、本件土地はこの運動場の大半を占めるものである。したがつて、本件土地は被告が主張するように、被告学園経営上貴重な要素となつているものと言える。
(ハ) つぎに、原被告間の本件土地についての従来の賃貸借関係の経過をみるに、当初の賃料は一ケ月金百四十六円八十八銭であつたが、その後数回値上された結果昭和二十六年九月分からは一ケ月二千百七十六円となつた。被告は此の間約十年近くの間は賃料を延滞することなく履行し、原被告両者間には格別の問題はなかつた。(但し、原被告間の関係が特に懇親の仲で、原告が被告学校の校賓として遇せられていたというような被告主張の事実は認め難い)。しかし、被告の前記経営難に陥つた昭和二十六年頃より賃料の延滞が初まり、同年度分の賃料は概ね八ケ月ないし十ケ月おくれて毎月収めており、昭和二十六年十二月分は、昭和二十七年九月二十七日に納入した(この前月、前々月等も一月分づつ納めていた)が、この当時において、昭和二十七年一月分より同年九月分までは未納であり、このため、原告は同年十月二十三日被告に対し内容証明郵便で右九ケ月分の延滞賃料合計一万九千五百八十四円を書面到達の日から五日以内に支払うべき旨の催告、ならびにこの期間内に支払はない場合には契約を解除する旨の意思表示をなしたものである。被告はこの書面を同月二十六日に受取つたものであるが、右催告期間の満了前である、同月二十八日、原告にあてて、原告より催告をうけた額の半額は同年翌月(十一月)十五日までに、また、残りの半額は翌々月(十二月)中旬に持参の上支払うゆえ、それまで猶予されたい旨の書面を発した。右書面はその頃直ちに原告に到達したが、原告はこれに対し何らの応答をしなかつたので、被告はこの猶予方の懇願がきき容れられたものと信じ、右書面で約束したように、同年十一月十五日被告代表者の妻に前記半額の金員を原告方に持参させたが、たまたま原告不在のため原告の妻が出て来て、主人が不在だから受領してよいかどうか分らないとて結局その受領方を拒絶された。ついで、同年十二月十五日過ぎ頃被告は学校の使用人斎藤フクイをして前記催告額の全額を原告方に届けさせたが、これまた、原告より受領を拒絶された。かくて被告は同月二十三日右催告額全額を弁済のため供託した。他方原告はもつぱら訴訟による解決を希み、被告が第二回目に提供した以前の昭和二十七年十一月二十二日にすでに本訴を提起したものである(被告えの訴状送達は昭和二十八年二月七日)。
(ニ) 最後に、原告は植木職が本業であるが、近来この種の仕事が少いため、昭和二十八年秋頃よりは食料品店を副業として経営しているものである。しこうして原告は、家屋を建築した際の借金の返済に困つているので、本件土地の明渡後はこれを他に売却して右返済資金その他にあてたいものと念願しているものである。
(2) 以上認定の事実関係よりすれば、本件延滞賃料の額はかなり高額であり、原告がこれによつて被つた苦痛もまた決して看過すべきものでないことは明かである。しかし、ひるがえつて、本件土地の賃貸借は前記認定のように賃料を延滞するに至るまでには十年間も継続し、この間被告は賃料を完全に納めて来たこと、係争の延滞ができたのは、学制改革に伴つて生じた被告の経営難に由来したもので、決して被告の不誠意によるものとは言えないこと、原告が本件催告をした当時被告は納期にはおくれていたが毎月とにかく一ケ月分づつの賃料を納入していたこと、また本件催告をうけるや被告はその翌々日に書面により前記認定のように延滞額全額を翌月中旬と翌々月の中旬の二回払で完納するからそれまで猶予されたい旨の墾願をなし、その後約束どおり現実に弁済の提供をなしたこと等の事情を綜合すると被告は土地賃借人として賃料支払につき十分誠意を示しているものであることが認められ、したがつて、本件解除当時においては継続的契約関係においても最も重視される信頼関係に破綻が生じたものとは認めえない。他方本件係争地は、前認定のように、当初より学校敷地として賃貸され現に被告学園の運動場として使用されている状況を考え合せるときは、原告が前認定のように被告の誠意ある催告期間の延期方に応ずることなく催告期間後の弁済の提供を拒絶し、もつぱら前認定の条件附解除の意思表示に固執して本件土地全部の即時明渡を求めて譲らずあくまでも解除権の行使を強行しようとすることはあまりにも自己本位に徹した態度であり、信義則にもとるものといはねばならない。すなわち、原告の本件解除権の行使は権利の濫用としてその効果を是認することはできない。はたしてしからば、原告の請求中土地明渡の部分は右理由により失当として棄却すべきである。
(四) つぎに、原告の延滞賃料及び損害金の請求の当否につき案ずるに、本件解除権の行使がその効力を生じない以上前認定の事情の下に昭和二十七年十二月二十三日被告が延滞賃料の弁済のためになした供託は有効であり、したがつて、原告の金員請求中、延滞賃料に該当する部分は右供託により債務が消滅しているので、その理由がない。また、原告の金員請求中損害金として請求する部分は賃貸借終了を前提とするものであるところ、前示のように被告の明渡義務は否定されたので、これまた理由がないものといわねばならない。
(五) 以上の判断によれば、原告の本訴請求はすべて理由がないから、これを失当として棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八十九条を適用し主文のとおり判決する。
(裁判官 伊東秀郎)